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「君たちの……前で、人殺しはしたくなかった……」
苦々しく漏れた呟きが、他人事みたいに耳に届いた。
我ながら、なんて独り善がりな願いだろうと思う。
ずっと死にたかったくせに、そんな勇気もなくて。
我が身可愛いさに他人の命を屠り、生暖かい血を浴びて。
洗っても擦っても取れない緋色を、認める事もできずに。
与えられた陽だまり。預けられた温もり。
いつか終わる、箱庭の幸福。だから。
縋ってはいけなかった。慣れてもいけなかった。
なのに。わかっていたのに……。
指先の感覚が刻一刻と不確かになる。
失血のせいだろうか。
思考が緩慢にしか働かなくなり、何もかもが億劫になる。
感覚がないのに寒いような気がして、暖めて欲しくて。
でも。……手を伸ばそうとは、思わなくて。
(だって、汚れる……)
綺麗でいて欲しかった。
穢れなんて知らないまま、子供のままで居て欲しかった。
だから、いらない。ぬくもりも、それを望む自分の心も。
砕け散ってしまった楽園の名残なんて、何一つ。
はっ、と息を詰め、痛みをやり過ごす。
霞んで役に立たない視界が、いっそ有難い。
……ルルーシュやユフィの怯える顔を見なくてすむから。
――それでも。
これだけは、本当だった。
「ごめん、ね、僕……は」
ずるりと、壁にもたせ掛けていた背中が崩れる。
体勢を立て直すだけの力なんて、もう残っていなかった。
僕は。
――きれいな世界だけを、君たちにあげたかった、のに。
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――青天の霹靂っていうのは、きっとこういうことを言うんだろう。
「はぁ!? ――あの、ロイドさん? えっと、それってつまり……」
「だぁかぁらぁ! 皇子皇女両殿下の守役だよ。君にとっても好都合なお役目、でしょ~?」
「しかし……それは……」
窓の外には、澄んだ冬の空が広がっていた。……だが、そんな綺麗な空とは裏腹に、スザクは困っていた。非常に、困っていた。
この奇特な……いや違う、すこぶる個性的な上司の、これまた個性的な思いつきに面食らうのはもう日課のようなものだ。だがしかし、今回の件は今までの驚きの最高値を余裕で更新してしまうほどの破壊力があった。
ちょっと頼みたいことがあるんだけど、と呼び出されて来てみれば、ぽいっと投げ渡されたお役目がなんとまぁ皇族の警護だという。異例どころの話ではない、もうこれは異常事態だ。
なぜならスザクは、いわゆるナンバーズと呼ばれる元敵国人。恭順の証としてブリタニアに差し出されて早六年、だがその程度の年月で祖国を忘れられるようなおめでたい奴はまれだろう。当然ながら、皇族への謁見など叶う身分でもない。
それがいきなり護衛? この際、しきたりや身分不相応を全て脇に置いたとしても、その護衛が皇族を人質に取りでもしたらどうするつもりなのだろうか、この上司は。
だがロイドは、眼鏡を指で押し上げると、スザクの困惑の理由を思い切り履き違えて説明を加え始めた。
「あのねえ、ルルーシュ皇子っていえば、若年ながら聡明だって噂の有望株な皇子サマだよ? ユーフェミア皇女はほら、あのコーネリア殿下と同腹でいらっしゃるから、これまた将来性には期待だしぃ」
別に、損得勘定で不服を申し立てた覚えはないのだが……。
(こんな時、セシルさんが居てくれたらなぁ……)
もし彼女がこの場に居合わせていれば、この不可解な要求を突きつけてくるロイドの暴走をしっかりと止めてくれたと思うのだ。
しかしながら大変不運なことに、彼女は今所用で不在だ。
――多分それも、ロイドの差し金なのだろうけれど。
「……え? ということはそのお二人、同腹でいらっしゃるわけではないんですか?」
物思いに耽っていて、ついつい聞き逃してしまうところだったが、ふいに内容に引っかかりを覚えた。
ロイドはこう見えても伯爵だから、皇妃の実家と縁続きであってもまったく不思議はない。だが二人同時にとなると、話は別だ。もしや、お妃同士が姉妹だとかそういうことなのだろうか?
「ん? あぁ、それ。ユーフェミア殿下の母君が僕と同じ家系の方でね。ルルーシュ殿下のほうはアッシュフォード家が後ろ盾をしてるんだけど、あそこの家、今火の車らしいんだよね。で、僕に取り入ろうって大事な皇子殿下の傍に寄せる魂胆らしいよ? この間の政略結婚話といい、ほーんと強かだよねぇ」
やれやれ、と肩を竦めるロイドに、スザクはめまいを覚えた。彼は明らかに、突っ込みどころを間違えている。
そういう思惑があるとわかっていながら、相手の家のとっておきの貢物を、ポイポイとナンバーズごときに下げ渡してしまう所がなんというか……ロイドがロイドたるゆえんだ。
本当にこんなのが伯爵でブリタニアは大丈夫なのか、とツッコミたくもなるが……日本はこの国に負けたのだ。それもたった、七年前の話。
「確かにまぁ、皇位継承順位を考えればお二人とも帝位は望み薄な位置だけどぉ、君が欲しいコネクションは、そういうのじゃないわけでしょ~?」
「……?」
上司の言わんとする所を測りかね、スザクは首を傾げた。するとロイドは、事も無げに話を続ける。
「僕の見立てでは、多分将来どこかのエリアの総督を任されるポジションだよ。君の故郷……ああそう、エリア11ね。まぁトウキョウ租界は直轄領だから無理としても、うまく取り入れば一地方を任されるくらいには取り立ててもらえるかもよ~? 領地はそう――たとえばキョウト、とか?」
眼鏡のレンズの奥で、アイスブルーの瞳が千叉猫のそれみたいな三日月を描く。どこまで見透かしているのだろう、彼は。飄々とした態度と鋭い洞察のギャップに 面食らった事は、一度や二度ではない。
……だが結局のところ今回も、折れたのはスザクのほうだった。
「……それで、どんな方なんですか? 僕がお仕えする両殿下は」
すると、にんまりと、非常に凶悪な笑みを彼は浮かべた。でもって、落とされた発言もこれまた凶悪だった。
「ルルーシュ殿下は十一歳、ユーフェミア殿下は十歳になられたばかりだね。世に言うお年頃、だねぇ?」
ああ……。
スザクは思わず呻いた。――だが、これで納得できるというものだ。
この上司は、子守に興味を持つような性格ではない。子守ができる性格でもない。むしろ日常的に年下の女性に子守されているのは彼のほうだ。――これはスザクの個人的な思い込みではなく、もはや特派の共通見解と言っても過言ではない事実である。
「わかりました……イエス、マイロード」
「うん、テキトーにがんばってねぇ!」
はぁ。
ついつい漏れてしまったスザクの小さなため息が一つ、ブリタニアの冬の空に溶けて消えた。
======中略========
<ほのぼのスザルルユフィぽい所>
やってしまった。それがスザクが覚醒して、最初に思い浮かべた言葉である。
スザクは仰向けの姿勢のまま、動くに動けないでいた。なぜなら、体の両側にぴったりと寄り添うぬくもりが二つ、気持ちのよさそうな寝息を立てていたからだ。
(そっか……昨日……)
おやすみなさいのキスを贈って、布団を掛けなおしてやったまではよかった。ところが、スザクがいざ退室しようとすると、服の裾がルルーシュの手に握られていたのだった。
起きている時にはめったに見せないそんな仕草にほだされたと言ってしまえばそれまでのこと。スザクは結局、ベッドに背中を預けて仮眠を取ることにしたのである。
幸いなことに、この部屋の床は毛足の長い絨毯で覆われていて、冬が始まろうかというこの季節でも耐え難いほどの寒さではなかった。元々スザクは鍛えているし、戦場も経験している。最悪そのまま、朝まで過ごしてもよかったのだが……。
『まぁ、スザク。お部屋へ戻らないのですか?』
いつも以上に舌足らずな声に目を遣れば、ごしごしと寝ぼけ眼をこすっているユフィの姿。ふと目覚めれば、スザクの頭がベッドの縁から見え隠れしていたのに気づいたのだと言う。
スザクは、苦笑しつつルルーシュの手を指した。事情を飲み込んだユフィは、ふむ、と頷いてベッドを示した。
『じゃあ、スザクもベッドに入ればいいんです。ルルーシュは離れたくなくて、スザクの服を離してくれないのでしょう?』
寒い格好をしていたら、風邪をひいてしまうと言っていたのもスザクですよ、とだめ押しされてしまえば逃げ場もない。スザクはわずかの逡巡の後、とうとうルルーシュとユフィのベッドに潜り込んだのだった。
(で、この状況か……)
スザクは我が身の状況を省みて、一人深くため息をついた。そろそろ日課の朝の自主鍛錬の時間なのだが、どうしたものか。ユフィは毎朝早起きなのだが、ルルーシュについてはどうも朝は苦手らしいのだ。抜け出すことはできるだろうが、この体勢ではきっと起こしてしまうだろう。昨日も少々遅かったし、これだけ健やかな寝息を立てているのだ、起こすのは忍びない。
ひとしきり迷った後、スザクは朝の鍛錬は断念することにした。
「あ、スザク。おはようございます」
「おはよう、ユフィ」
結局、それから三十分ほどするとユフィが目を覚ましてくれた。片方の腕が開放されればしめたもので、スザクはほうっと息をついた。
「スザクにくっついていると、とても暖かかったですよ」
「そう? それは良かった」
「明日からも、スザクが隣に居てくれたらいいのに」
「それは……どうかなぁ。いくら広いといっても、やっぱり僕まで寝たら狭いかもしれないし……ルルーシュとか、落ちちゃうかも」
「まあ!」
くすくすと、ユフィが笑う。スザクもつられて笑っていた。と、ふいうちで反対側の髪の毛が引っ張られた。
「スザク……今のは一体どういう了見だ? どんな意図と根拠に基づいた発言だったのか、順序立ててしっかり説明してもらおうか? ん?」
「る、ルルーシュ!? おはよう。起きてたんだ」
「こんなに傍で、誰かが自分のことを馬鹿にしていたら、嫌でも目が覚める」
眉間に皺を寄せたルルーシュは、低血圧も手伝ってかひどく不機嫌だった。
「おはようございます、ルルーシュ。ちゃんと分かってますよ、ルルーシュはスザクが居てもベッドから落ちたりしないですよね?」
「ユフィ、おはよう……ん?」
「だって、昨日だって暖かいスザクにぎゅっとくっついていたじゃない? だからきっと大丈夫、落ちたりしないわ。そりゃあ……夏だったらわからないけど」
まったくフォローになっていないフォローに、ルルーシュもスザクも思いっきり脱力する羽目になった。
そんな男たちを尻目に、ユフィはベッドから降りて窓辺へ向かう。部屋の空気を入れ替えようと窓を開けようとして、彼女は感嘆の声を上げた。
「ルルーシュ! スザク! 見て、雪が積もってるわ!」
それが、この年の初雪だった。
======中略=====
<シリアススザルルユフィぽいところ>
「敵がどうして、ユフィを狙うかだったな。答えは簡単だ。ヴィ家の――僕の領分であるアリエス宮で、騎士候補であるお前もついていて、それでもユフィが何者かに略取された。この事態が露見すれば、コーネリア義姉上の僕らへの信頼が失墜するのさ。だが、誘拐の事実がバレれば身の安全が危ういのは向こうも同じだ。義姉上は容赦なく追求して鉄槌を下されるだろう。となれば、奴らが狙うのは――」
「裏取引か」
「ご名答。よくわかったじゃないか? スザク」
「働くべき時に使えない頭なんて意味はない。そうだろう? ルルーシュ」
射抜くような強い視線で問い返され、ルルーシュは口角を上げた。今ルルーシュが唯一頼れる味方。そう来なくては。
「あぁ、いい返事だ。――奴らは必ず、僕に接触してくる。ユフィを無事に返して欲しければ、」
「婚約破棄を申し出ろと?」
「そうだな。ついでに、皇位継承権の放棄と、逃亡資金の要求くらいはするかもな」
「……まさか、飲むとは言わないよね?」
「ああ。皇位継承権は、母と妹の安全に関わる。手放せないさ。婚約もそうだ。あれはユフィとの誓いだから」
妹の病が遠い地での療養を必要とするとわかった時。母親と何度も話し合った。一人でブリタニアに残ることはルルーシュが自分で決めたことだ。それは母と妹に必要な援助と安全を確保するために必要な決断だった。けれどブリタニア宮で子供一人が生き残ることは、それほど甘いことではない。
そんな時差し出された義妹の手。ぼろぼろと泣きながらルルーシュを説得したユフィの顔を、ルルーシュは一生忘れられないだろうと思う。
「――ルルーシュ、一つ聞きたい。君たちにとって婚約とは何だ。……僕には、君とユフィの間にある気持ちが男女の情愛であるようには見えない」
そう尋ねたスザクの目には、嫌悪も侮蔑もない。
ただ、得心がいかないのだろう。一般論として十歳やそこらの子供に結婚という言葉は不釣合いであるし、一月近く寝食を共にしていれば、二人の気持ちも見えてくる。
ルルーシュも、そしておそらくユフィもわかっていることだ。どんなにこの想いを深めても、それが世間一般の兄妹間にあるものに比べていささか強い執着であろうと、この感情が親愛の域を出ることはないだろう。
ルルーシュは、ふっと息を吐いてスザクを見た。
「僕らにとって婚約は、お互いを守るという約束だ。二人が自力で立てるようになるまで、必要な杖なんだ」
スザクは真剣なまなざしでルルーシュの言葉に耳を傾けている。
「――スザク、僕は、ユフィを子供を生ませるためだけの道具、皇統に連なる高貴な血をもたらしてくれる都合のいい存在としてしか扱わない奴らには、絶対に渡したくない。――そして彼女を取り戻すためには、お前の力が必要だ。……協力してくれるか?」
じっと、若葉の色をした瞳を見つめる。ルルーシュは、彼の答えをほぼ確信していたけれど。
「イエス、ユアハイネス」
頼もしい声。力強い、承諾の返事。ルルーシュは、こんな時であるにも関わらず思わずにはいられなかった。
――彼が真実、自らの騎士であったらと。