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「揺り籠の夢」(「強くて弱い人」後日談・ペーパー再録)




 慣れた気配が近づいてくる。シンドバッドは夢と現の境でごく微かなそれを感じ、無意識に笑みを深めた。
 

       揺り籠の夢 


(本当に、この人は……)
 ジャーファルは、無防備に眠りこけている主の姿に深々と溜息をついた。明日から長期に渡り国を空ける国王の姿とは思えない、呑気な光景である。
 城中が出立の支度に大わらわなのだ。武官、文官はもとより女官や下働きの者に至るまで、忙しなく働いている。城内はどこもかしこも、異様な熱気に包まれていた。
 忙殺されていたのは、ジャーファルとて例外ではない。
 むしろ、国王不在の中で残る八人将を束ね、かつ政を司る政務官の役目を帯びるのだ。王その人を除けば、シンドリアで一番忙しいといっても過言ではないほどだ。
 それが何が悲しくて、日も高いうちから行方不明の主君を捜索しなければならないのか……。
 そうは思うが、神出鬼没な王を探し当てることができる人間は限られている。中でも、人手を割くでもなく魔法を使うでもなく、経験と勘だけで探し当てることができるのは実質ジャーファルだけなので、こういう事態になると決まってジャーファルのところに嘆願が届くようになっていた。
 ジャーファルは気配を殺して歩み寄り、ハンモックに身を預けて健やかに眠るシンドバッドを覗き込んだ。

 それにしても、こんな場所を、よく見つけたものだ。
 紫師塔の裏手にある小さな庭。この島に元々あった森の面影を残す形で手入れをしているそこは、無造作に植物が生い茂っている。立派な枝ぶりの大樹の木陰が、まどろむには少々強すぎる南国の日差しを、程良く遮っていた。
 手ごろな木と木に、器用に結び付けられた縄目は見事なものだ。船乗りだったシンドバッドの特技でもある。仮に船が嵐に巻き込まれるようなことでもあれば、王となった今だって、彼はその手で船と船員を守ることを厭わないに違いない。
 つらつらとそこまで考えて、ジャーファルは不吉な考えを振り払うように首を左右に振った。出立前に悪天候の想像などするものではない。備えは万全に、しかしどうせなら、縁起は担いでおくに越したことはない。
 それもこれも、シンドバッドがこんな所で眠っているせいだ。酒の匂いはしないが、バルバッドで白昼堂々午睡などしていて大変な目にあったことに、まだ懲りていないのだろうか。

「シン、起きて下さい。今日は忙しいんですよ。寝るなら明日から船で寝て下さい」
 ジャーファルは声を掛けた。すると、シンドバッドが目を開けないまま、唇だけで微かに笑う。
「ちょっと、シン?」
「――ああ、聞こえているよジャーファル。……いや、やっぱりお前が見つけに来たなぁってな」
「……何ですか、それ」
「明日からしばらく、甲斐甲斐しい捜索ともお別れかと思うと、実に名残惜しいってことさ」
「馬鹿言わないで下さい」
 言いながらも、王が手を差し伸べて来たので、起き上がるのを助けるためにこちらも手を出す。大きな手でぎゅっと握り返されれば、態度を硬化させたままでいるのも難しい。結局、溜息一つで苦労を水に流すことになる。

「懐かしいだろう?」
 起き上がったシンドバッドは、そう言いながら地を蹴った。するとハンモックが振れ幅を増し、波間を行く小舟のようにゆらゆら揺れる。
「そうですね。最初の航海の時、あなたに嫌というほど寝かしつけられたのをよく覚えています。おかげで、ひどい船酔いとは無縁でしたね」
「あー……あれはどっちかっていうと、船酔いしないためってわけじゃ無かったんだが」
「? そうなんですか? 初耳です」
「……その、揺り籠のつもりでな」
「揺り籠? ……って、あの揺り籠ですか?」
 ジャーファルはまじまじとシンドバッドを見た。
 確かに初めて会った時、ジャーファルはまだ子供だったし、年の割に発育が悪くもあった。だが、いくらなんでも揺り籠が似合うような背格好では断じてなかったはずだ。
「いやほら、夜泣きする子にはああいうのがいいっていうだろ。似たようなもんかと思って試したら、それなりに効果が……」
「いえ、いいんですけど……驚きました」
 揺り籠に夜泣きとは……。十数年目にして衝撃の事実である。しかし考えてみれば、まだ十代の少年だったシンドバッドに、詳しい子供の発達段階などわからないのも無理はない。多少一般的でないにしろ、ジャーファルに両手一杯の愛情を注いで養育したのは後にも先にも彼だけで、そのおかげで今がある。どんなに感謝してもし足りないほどの恩義に違いなかった。

「そうだ、ジャーファル。――全てが終わったら……お前のこれをハンモックに作り変えるのはどうだ?」
 唐突になされた提案に、ジャーファルはまじまじとシンドバッドを見る。すると視線の先で、王が赤い紐の絡むジャーファルの指に唇を寄せた。
 慈しむ表情は、ジャーファルの誇る王の本質そのものだ。
 ――だが。
 その温かさと、自分の胸の中に急速に広がる冷たさがかけ離れ過ぎていてひどく滑稽だった。
 あまりの感情の落差に目眩がしそうだ。
「――シン」
 武器と縁を切れず、戦場に身を置き続けた養い子同然の部下の半生を憂いて、いつか夢が現実になったら穏やかに暮らせばいいと言いたいのだろう。
 けれど、その言葉の意図するところがジャーファルの未来に対する祝福であると分かっていても、嗅ぎ取ってしまった彼が思いを馳せる未来像が、この胸を容赦なく痛めつける。
「……それを遺言にするおつもりなら、流石の私も投げ出しますよ」
「ジャーファル……?」
「――それでは王よ、執務室にてお待ちしております。早急にお戻り下さいますよう」
 完璧な一礼をして、振り返りもせず歩み去る。
 寝起きだからか、シンドバッドが追い駆けて来ないことに心底安堵した。こんな情けない顔を覗きこまれては、色々と差し障りが出てしまう。

          ◆

「遺言、と来るか……」
 一方、独りぽつんと取り残されたシンドバッドは、茫然と一人ごちた。
 なるほど、言われてみれば自分は、ジャーファルに作れと言ったハンモックに自分が寝そべっている様は想像しなかった。
 どちらかといえば、子供が眠るハンモックを揺らしているジャーファルを想像したというのが正しい。特に具体的な想像をしたわけではなかったが、シンドバッドがシンドリアに健在であれば、ジャーファルにそんな暇はないような気がする。何せ、自分が本物の子供以上に手が掛かる自覚くらいはある。
 しかし――。あんな他愛もない話題で、シンドバッドの不在を死に結び付け、その可能性はいかほどかと考え込むジャーファルが不憫に思えた。自分は幼かった彼を解放したつもりで、逆にとんでもない縛り方をしてしまったのではないか。
 シンドバッドは幸せだ。どこに飛び出して行こうが、ジャーファルが探しに来てくれる。その気配で目を覚ますことができる。やっと手に入れた家族のような存在。けれど残される恐怖と常に戦いながら必死に主を探す彼の苦痛は、どうしてやることもできない。常からそうなのに、今は煌帝国への同行が叶わず数か月の別離を強いられることが、ジャーファルの余裕を根こそぎ奪っている。
 ――本当に闇の組織の暗躍が潰え、その時シンドバッドが存命でなかったとしたら、ジャーファルはどうなるのだろう。疑問が形になってすぐ、息をするほど簡単に、その様子を思い浮かべることができた。

 シンドバッドがどこへ行こうが、極論死んでしまおうが、その言葉を無碍にできるジャーファルではない。
 赤い紐でできた揺籃に茫然と横たわるジャーファルは、虚ろに、息の仕方さえ忘れたようにぎこちなく、この青い空を見上げるのだろう。――痛々しい、だが条件さえそろえば確実に現実になる未来だ。
 シンドバッドは深いため息をついた。差し当たっては今夜じっくりフォローを入れるとして、将来的にも何か手を打たねばなるまい。

 世界も家族も両方幸せにしなければならない七海の覇王は、やはりシンドリアで一番多忙に違いなかった。

                                 

Fin
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